屋台囃子
現在、保存会では『さんてこ』、『武州囃子』、『神田丸』、『大間』、『昇殿』、『籠丸』の6曲を演奏しているいます。以前は『さんてこ』『武州囃子』の2曲のみを演奏していましたが、他の地域から曲目を伝承して頂き、現在に至ります。
市内にはこの他にも『鎌倉』、『かごまり』、『淀』、『加茂』などが存在します。
また、『さんてこ』『武州囃子』も地域によって曲の雰囲気や叩き方で多少の違いがあります。市外でも『さんてこ』等は演奏されていることが多いのですが、市外になるとさらに違いがはっきりして、同じ曲とは思えないほどになります。
また、囃子と言っても京都の祇園囃子のようなゆったりと流れるような曲調とは異なります。叩き方は、飛び跳ねたり横に揺れたり、バチを回したりと全体的に激しさがあります。さらに最近では特に『武州囃子』がスピード感を増し、より激しさを増しました。
演奏する楽器は『ツケ太鼓(小太鼓)』、『大胴(大太鼓)』、『鐘』、『笛(篠笛)』の4種類です。

南北千木には1台の屋台があり南千木町と北千木町の境にあたる千本木神社に奉納されています。
以前は分解して保管され人々の目に触れることはありませんでしたが、神社の敷地内に建てられた屋台庫の完成と共に組み立てられ、現在はそこで保管されています。
年に一度、千本木神社で行われる秋祭りの際に町内を巡行します。
屋台を組み立てる際に棟木板(棟礼)が発見されました。市内でも棟木板や造立年が示されたものが残っている屋台は少ないそうです。これによると、屋台の造立年は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)とあります。また、棟木板には棟梁・彫・木挽き等屋台製作に関わった人物の名前が記されていて、このことから、「屋台は一人の技術者によってつくられた」という一般的な考え方が覆されることとなったようです。
屋台は『単層唐破風』という構造です。中央付近を障子のようなもので間仕切りしている構造で、市内では一般的な屋台だそうです。

夏に行われるいせさきまつりでは、本屋台をお祭り会場まで運ぶのが大変なため、通称『トラック屋台』が活躍します。いせさきまつりでは、南千木町・北千木町それぞれ1台ずつの屋台に分かれてお囃子をします。夏のまつりでは屋台そのものより、囃子の演奏を楽しんで頂けると思いますよ。
他の地域の方から「ダサい」と言われることもありますが・・・。意外とこのトラック屋台、私たちの地域では重宝されるんです。なぜかって、激しい曲調の囃子が多いので飛んだり跳ねたりするとトラック自体がゆれて激しさが増すんですね!まつりの見せ場の『競演』(複数の屋台が集まって演奏を競い合うとき)ではその威力(?)は絶大です。本屋台では貴重な文化財を壊すわけにはいきませんからね。こうはいかないんです。
かつて茂呂地区(茂町、茂呂町1・2丁目、南北千木町、美茂呂町)には5台の屋台が存在し、各町内の氏神様や鎮守様に奉納され町中を練り歩いた時代があったそうです。こうした行事は今は無くなり、なかなか各地域の交流も持てなくなってしまいました。
是非、各地域の活性化のために、保存会同士の刺激のためにも何かしらの交流を持ちたいものですね。
伊勢崎市に伝わる屋台囃子の多くは1800~1830年ころに発生したと伝えられています。南北千木町(旧下茂呂)に伝わる屋台囃子についての文献が残されていないため確かではありませんが、おそらくこの頃に他地域から伝わったと考えてよいようです。
戦時期には屋台囃子も衰退の危機を迎えましたが復興と共に人々の間で囃されるようになり、危機を逸しました。
南北千木町では、1990年代頃より「屋台囃子教室」として子供会の協力を得て小学生に伝承するようになりました。
現在は『南北千木町屋台囃子保存会』と名称を改め活動を続けています。

伊勢崎市に伝わる屋台囃子の多くは1800~1830年ころに発生したと伝えられています。
南北千木町(旧下茂呂)に伝わる屋台囃子についての文献が残されていないため確かではありませんが、おそらくこの頃に他地域から伝わったと考えてよいようです。
この地域では、古くから『さんてこ』、『武州囃子』、『神田丸』という曲目が伝承されています。