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龍頭神舞

千本木の獅子舞は名称を『千本木龍頭神舞』と言いますが、『龍(竜)頭舞』『獅子舞』など様々な呼び名で呼ばれることがあります。

龍頭神舞

舞の形式は『一人立ち三人連舞』と分類され、三人一組で各々が独立した一つの頭(カシラ)を被り舞を行います。一般に『風流三頭獅子舞』と言われ、室町時代から江戸時代(元禄の頃)に始まったものが多いようです。


龍頭神舞の頭は『龍』を模したもので、獅子とは異なります。県内の獅子舞は『獅子』を模したものが多く、こうした頭を持つ獅子舞はとても珍しいようです。

頭は『鳳凰元(ホーガン)』『雌獅子(めじし)』『雄獅子(おじし)』の三体から成ります。鳳凰元は先頭に立ち、二本のねじり角の根元に左右異なった神面の彫刻があります。雌獅子は三頭の真ん中に位置し、鹿の角に似た一本の角をもちます。雄獅子は三頭の最後に立ち、二本の角の根元に左右異なった神面の彫刻があります。それぞれの頭は『鳥総(トフサ)』と呼ばれる、和紙を紫・緑・赤・黄色に染め幣束型に切った、髪を着けています。

現在、千本木龍頭神舞は群馬県の重要無形民俗文化財に指定されています。また、一番古い頭(カシラ)は伊勢崎市の有形文化財に指定されています。

龍頭神舞の起源に関する文献が残っていないため、正確な記録はありませんが、江戸時代中期に旧茂呂村の下茂呂(現在の伊勢崎市南千木町・北千木町)地区で始まったとされています。

以降、『会所』と呼ばれる獅子宿で代々伝承されてきました。

元は『厄払い』や『雨乞い』を目的として舞が始まったとされ、天下太平・五穀豊穣・悪疫退散などの役目を持っていました。
その昔、河川や用水路の整備がまだ成されない時代、度々旱魃による打撃を受けることがありました。龍頭神舞はその旱魃の際に雨乞いを行い、危機を救ったとされ、数々の逸話が残されています。

龍頭神舞は会所で代々伝承されてきましたが、これまでに何度も中断されることがありました。それでも地域の有志により、何度も復活し現在に至ります。

sisi_01.jpg旧茂呂村(下茂呂)に古くから伝わるもので、通称『獅子舞』とも呼ばれます。
千本木の獅子舞は龍を模した頭(カシラ)が特徴で、鳳凰元(ホーガン)・雌獅子(メジシ)・雄獅子(オジシ)と呼ばれる3つの頭から成ります。
鳳凰元と雄獅子の角にはそれぞれ神面があることから、『龍頭神舞』と呼ばれる所以であるとされています。
舞のかたちは、一人立ち三人舞で一般的に風流三頭獅子舞と言われます。
正確な記録は残っていませんが、千本木の龍頭神舞は、室町時代から元禄の頃(江戸時代)までに始まったものと言われています。
昭和47年 4月 獅子頭が伊勢崎市の重要有形文化財に指定される
昭和47年 4月 雨乞いの舞が伊勢崎市の重要無形文化財に指定される
昭和50年11月 群馬県神社庁より表彰を受ける
昭和56年12月 群馬県知事より文化奨励賞を受ける
昭和58年10月 第38回国民体育大会 あかぎ国体 集団演技群馬の祭りに出場
昭和63年11月 第3回国民文化祭ひょうご88出場
平成 8年11月 第9回国民スポーツ・レクリエーション祭(スポレク群馬)96出場
平成 9年 9月 伊勢崎市祭派遣団として、姉妹都市(Springfield MO)のJapanese Fall Festivalに出演
平成14年 1月 第16回国民文化祭ぐんま2001出場
平成15年 2月 伊勢崎市教育長より表彰を受ける
平成16年 3月 鹿島神宮へ奉納の舞
平成18年 3月 千本木龍頭神舞が群馬県の重要無形民俗文化財に指定される
平成18年11月 第48回関東ブロック民俗芸能大会出場
平成18年11月 文部科学大臣より表彰を受ける
平成19年 5月 靖国神社へ奉納の舞
平成20年    第25回全国都市緑化フェアぐんまフェア出場

- 祭道 -
所在:群馬県伊勢崎市
管理人:保存会員
http://www.matsurimiti.rdy.jp/

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